→仙台に行きました3
懇意にさせてもらっている 仙台市津波災害ボランティアセンターのスタッフ大平さん(23歳)の車に乗せてもらいました。
被災家屋の事前調査と、泥かき出しボランティアが入った後の事後調査、
海岸付近の道路状態の確認に
ぼくも同行させてもらった形です。
現場を見てください。たくさんの人に知ってほしいんです。
とのことだったので、写真や動画を撮らせていただきました。
ほんとは
「観光地じゃねえんだよ」とか
「これくらいで分かった気になるなよ」っていう気持ちもあるんでしょうけど
それよりも「知って欲しい」気持ちが強いんだと思います。
それは忘れられてしまう恐怖があるからなんでしょう。
****
****
地図のAの場所が最後に出てくるガソリンスタンドの場所です。
右側が住宅街だったことが地図を見るとわかりますね。
「これでもむっちゃキレイになりましたよ。
だってあのスタンドの上の方までゴミうもってたんだもん」だそうです。
このあたりは海岸付近まで家が建ち並んでいましたが、
「すごくきれいな場所でした」という大平さんの言葉を聞いても
簡単には想像できないほどの状況です。
****
たくさんのことを見聞きして、
すべてをアカラサマに伝えるわけにはいかないくらい(とくにネットでは)に
かなりざっくばらんに内部事情まで聴かせてもらいました。
だれかにぶちまけたかったんだとおもいますよ。
そりゃそうですよね。
ほんとなら大声で怒鳴りたいところですよ。
ぼくは友人として同じように怒って、同じように問題視することしかできませんが
まずは「知る」ことが大事だと思いました。
「東京の人もみんな毎日被災地のこと考えて生活してますから」と
ぼくは言ったけど
「ほんとですか~~~(笑)」って言われてしまって
「ほんとですよ!(笑)」と言いながら
ほんとかなぁ……と思いました。
風化することを一番怖がっているようです。
ぼくらはぼくらの生活を普通に戻すことも大事なもの事実。
でも「非」被災地が普通に戻っていく様子を見ていると
被災地の人が「おれらのこと忘れて笑ってるよ」と思っちゃうのもしょうがない事実だと思います。
だからほんっっっっとに難しいんだけど
「忘れてないよ。いつも考えてるよ。必要なものあったら声かけてくださいよ。」と
言い続けていくしかないなといまは思ってます。
→仙台に行きました3
懇意にさせてもらっている 仙台市津波災害ボランティアセンターのスタッフ大平さん(23歳)の車に乗せてもらいました。
被災家屋の事前調査と、泥かき出しボランティアが入った後の事後調査、
海岸付近の道路状態の確認に
ぼくも同行させてもらった形です。
現場を見てください。たくさんの人に知ってほしいんです。
とのことだったので、写真や動画を撮らせていただきました。
ほんとは
「観光地じゃねえんだよ」とか
「これくらいで分かった気になるなよ」っていう気持ちもあるんでしょうけど
それよりも「知って欲しい」気持ちが強いんだと思います。
それは忘れられてしまう恐怖があるからなんでしょう。
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地図のAの場所が最後に出てくるガソリンスタンドの場所です。
右側が住宅街だったことが地図を見るとわかりますね。
「これでもむっちゃキレイになりましたよ。
だってあのスタンドの上の方までゴミうもってたんだもん」だそうです。
このあたりは海岸付近まで家が建ち並んでいましたが、
「すごくきれいな場所でした」という大平さんの言葉を聞いても
簡単には想像できないほどの状況です。
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たくさんのことを見聞きして、
すべてをアカラサマに伝えるわけにはいかないくらい(とくにネットでは)に
かなりざっくばらんに内部事情まで聴かせてもらいました。
だれかにぶちまけたかったんだとおもいますよ。
そりゃそうですよね。
ほんとなら大声で怒鳴りたいところですよ。
ぼくは友人として同じように怒って、同じように問題視することしかできませんが
まずは「知る」ことが大事だと思いました。
「東京の人もみんな毎日被災地のこと考えて生活してますから」と
ぼくは言ったけど
「ほんとですか~~~(笑)」って言われてしまって
「ほんとですよ!(笑)」と言いながら
ほんとかなぁ……と思いました。
風化することを一番怖がっているようです。
ぼくらはぼくらの生活を普通に戻すことも大事なもの事実。
でも「非」被災地が普通に戻っていく様子を見ていると
被災地の人が「おれらのこと忘れて笑ってるよ」と思っちゃうのもしょうがない事実だと思います。
だからほんっっっっとに難しいんだけど
「忘れてないよ。いつも考えてるよ。必要なものあったら声かけてくださいよ。」と
言い続けていくしかないなといまは思ってます。
→仙台に行きました3