サウルの息子

『サウルの息子』

ナチス系はちょこちょこ観ているので
観た後にブルーな気持ちになるのは毎度のことですが
この映画だけはちょっと耐えられそうにないと思って敬遠していました。

『サウルの息子』を観ずに2016年の映画を語るなかれ、という文字を見たりしたし、
すんげえ賞獲ってるし
友人にも勧められたし、
さらに多大なご厚意もありまして
ついに観ることができました。



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そもそも、ユダヤ人を地球上から根絶やしにする作戦を実行する中で
ドイツ軍は村々を転々としながらユダヤ人を主として障害者やロマ、同性愛者などを大虐殺していったわけですが、言っても結局は「人間」。
ドイツ兵たちは次々にPTSDになっていったそう。
PTSDになった兵士は戦場で使い物にならない。

ドイツ兵自身にこのユダヤ人消滅作戦をやらせるのは「非効率」だと考えて、
手を汚す作業はユダヤ人にやらせることに。
さらに、村々に自分たちが訪れるのもまた「非効率」なので
貨物列車にぎゅうぎゅうに押し込んでガス室のある収容所まで運ぶことになるわけです。
4〜5日ずっとぎゅうぎゅう詰めなので、、

あ〜もう書く気がしない。うおお。



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ちなみに、
上に書いたことは『サウルの息子』には出てきません。
『サウルの息子』までの流れです。


何が言いたいのかというと、
僕がこの映画を観て思ったのは

「人間はこんなことに耐えられるように作られてはいない」

ということです。


人間は、
外国人排斥や人種差別や自国礼賛の集団心理の行き着く先でこんな地獄が作ったり、
毎日毎日一生懸命地獄を実行し続けられるんだけど
人間の精神はそれに耐えられるようにはできてないんだな、ということを感じました。
ドイツ兵だってPTSDになるわけです。

だけど、できてしまう、という恐ろしさ。
そういう流れができるとそれに乗っちゃう凡庸さ。

もっともっと人間をよく知らないと。
人間は弱いし凡庸。なのに、やれちゃう。



『アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発』も観なきゃ観なきゃと思いつつ東京での上映は終わってしまった。

人はちょっと命令されただけで人を殺せちゃう、という実験結果を出してしまったミルグラム実験の話。
ハンナ・アーレントの「悪の凡庸さ」説を科学的に裏付けた、とされて社会に衝撃を与えた実験。

この実験については大学の時に勉強しましたが、実験の仕組み程度しか覚えていなくて。


アイヒマンってのはヒトラーの下で「数百万の人々を強制収容所へ移送するにあたって指揮的役割を担っ」ていた男。

戦後12年経ってアルゼンチンに潜伏していたアイヒマンをやっと拘束(この辺りのことは「アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男」を)。
世界中が注目する中、エルサレムで裁判にかけられました(この辺りのことは「ハンナ・アーレント」を)。

人々は、アイヒマンはどんなに悪魔的な人間なのだろうか、どんな異常者なのだろうか、と思っていたわけですが、蓋を開けてみたら単なる中間管理職だったという衝撃。
命令通りに事務仕事をとても優秀に進めることができ自身の考えとして「上に従っただけ」というサラリーマン的思想の持ち主。

それが当時の人たちにとっても恐怖だったわけです。
え〜、隣のおじさんみたいじゃん、と。


そっから、じゃあアイヒマンはどういう心理的な過程を経て戦犯アイヒマンとなったのかと実証するための実験として行われたのが「ミルグラム実験」であり、それを描いたのが『アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発』

アイヒマンの後継者、という言葉の意味は、アイヒマンの後継者は我々だよ、と。
我々だってアイヒマンと同じことする可能性があるんだよ、と。




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さて、
この『サウルの息子』はずっと一人称の映画です。

ホロコーストに連れてこられて同胞のユダヤ人たちをガス室に送り込む役割(ゾンダーコマンド)をさせられて数ヶ月後には自分も殺されるという運命がわかっている男、の視点でずっと描かれます。
映画の中での時間経過は1日半。

ナチスは、ユダヤ人を全部消し終わったらホロコーストの記録を全部消し去ろうとしていたので、ゾンダーコマンドもある一定期間働かせたら殺すし、ヨーロッパ各地にあったホロコーストも全部燃やして歴史から抹消するつもりでした。

なので、ゾンダーコマンドたちは自分たちは近々死んでしまうだろうけど、歴史からも消えてしまうことを避けるために、メモを残していました。

ホロコーストに連れてきたユダヤ人たちをガス室に入れる前に服を脱がせるので、そのポケットの中にある紙やペンを隠し持って(見つかったら殺される)、自分たちがやらされていることをメモし瓶に入れ土に埋めました。
戦後それらは発見され、かなり正確にゾンダーコマンドの日々の仕事がわかったと言います。


ゾンダーコマンドの中には記録に残すだけではなく、
どうやって手に入れたのかは描かれていなかったんですが
火薬を集めて焼却炉を爆破して集団蜂起を企てたりもしました。

実際にホロコーストでの集団蜂起はいくつかあったようですが
成功(と言えるのか)したのは一箇所だけで
『サウルの息子』はそこを舞台としています。



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集団蜂起するためにゾンダーコマンドたちは兵士に見つからないように相談を繰り返さなきゃいけないんですが、ユダヤ人と言っても国が違うので言葉が通じない。
翻訳者を解しながら短い言葉で連絡し合うがなかなか効率的には行かず。

しかしみんな協力してなんとか焼却炉を爆破させるとこまでもっていきたいと思ってるんだけど、
実はひとりそれとは関係ないことに力を注ぐのがサウル。

ガス室のある子どもの遺体を「自分の息子だ」と思い、その遺体をかくまい(見つかったら殺される)、せめてユダヤ教に則って埋葬してやりたいと願い、それに奔走します。


映画を観ていると
「サウル!もういいじゃんソレ!その子の埋葬より脱出作戦に注力して!」と思ってしまうんだけど、違う。

その子の遺体はそのままにしてたら思いっきり焼かれて粉末にされて(記録が残らないように)全部川に撒かれてしまう(記録が残らないように)。
人間としての尊厳など骨粉の粒一つもないほどの処理をされてしまう。

自分の命をとしてでも
「自分の息子」の遺体を人間として埋葬したいと願うのが人間らしさか、
集団蜂起が人間らしさか、簡単には答えは出せないこと。


サウルにとっては、この方法で「人間らしさ」を示すことがナチスへの反抗だっただろうし、自分の人間としての証だったはず。




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注意しなけりゃいけないのは、
この映画が一人称であるから自動的に観客はサウル視点になります。

つまり被害者視点。
(おかげで自分がゾンダーコマンドになった感覚になれるのですが)

でも、前述通り、誰もがゾンダーコマンドを指揮する立場になりうるのです。
自分がそっちかもしれない。
人間を人間として扱わない立場に立たされて「だって上の命令だもん」とそれに従っていたかもしれない。

この映画がサウルの視点だからと言って、自分がサウルとは限らない。
サウルの背中をライフルで狙う上官が自分かもしれない、ということを知っておかないと。

戦時下においてだけの話じゃなく、
平成の世においても、自分は、他人の人権を踏みにじることを、しているかもしれない、と自分を省みる必要性を教えてくれる映画です。



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監督はこの映画を「英雄映画やホラー映画にするつもりはなかった」と。

なので全体としては淡々としてますし、画面の情報量が少ないので、グロ映像はそれほどないです。


最初を乗り越えればあとは大丈夫かと。
途中、ガス室がいっぱいになってそれでも追加で列車が来た後に実施されることのシーンはまたとんでもないですが。
まぁその2つですね。

その2シーンさえクリアできれば、観れます。

どうぞ、頑張ってください。




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最後に僕のトラウマ映画3本。


『鬼が来た!』
『サラの鍵』
『光の雨』

です。
リンク貼りません。